押し引きに必要な思考
- 2018/11/14
- 01:21
初の麻雀記事を書こうと思う。
記念すべき第一弾(二弾は無いかもしれない)は
【押し引きに必要な思考】とした。
因みに本記事は初級者、中級者向けのものとする。
良く目にする内容は贅肉を削ぎ落としてめちゃくちゃ簡潔に書く。つまらないので。
以下『つまらない』まで読み飛ばし推奨。
まず、押し引きには何が必要か。
読み?必要無い。君はまだその段階ではない。
相手から立直が掛かった時の、自分の【和了率】と【和了素点】とその為に【押さなきゃいけない牌の危険度】である。
これを【相手が聴牌している前提を現実的に捉えられていない人間】が押しすぎて死ぬパターンで、【自分の手の価値を低く見積もって地蔵負けする人間】が引きすぎて死ぬパターンである。
前者は、自分が一向聴、二向聴から聴牌する為の有効牌を引き入れて更に先制立直者の和了牌がそれまでに河に切られることなく、和了りきる確率というものが果たしてどれぐらいのものか、ということをもう少し冷静に考えるべきである。
後者は、こんな良い手牌中々来ないよなぁモノにしなきゃなぁ、だったり自分から見てドラ3~5個見えてるし子の先制立直に放銃を恐れる必要があるのか?とかそういったことを冷静に考えるべきである。
この辺は『つまらない』。
あまり目にしない思考プロセスについて書こうと思う。
ここからは読め。
この辺は読みの話にもかなり関連してくるのだが、麻雀においての思考プロセスというのは
【網羅能力】と【編纂能力】と【処理能力】
である。
・網羅というのは、状況や打牌を見て、相手がどういう手であるか、という【全ての可能性】を考えることである。
・編纂というのは、網羅した事柄のそれぞれの確率を出来るだけ正確に算出することである。
・処理というのは、上記二つの作業結果に応じて自分の最適な選択を施すことである。
勝てない人はこの三つの内、必ず何かが欠けている。
著者が恐らく欠けているもので言えば、処理能力。
やはり、処理能力というのは最終選択(打牌選択)の部分でもあるので、非常に間違えやすい。
では初級者中級者によく見られる欠けている部分はどこなのか、というとそれは【編纂能力】である。
正直、処理能力に関しては誰しもが間違えるし、これを完璧に熟していると断定すること自体が難しい。
網羅能力に関しては、考えながら麻雀を打っていればある程度身についている人間が多いように思う。余談をするとそんなに強くないのに自分が上手いと思っている人間はこの網羅能力に溺れているパターンが多い。
問題の編纂能力に関してであるが、弱い人は、これを行う際の見積もりが極めて【自分よがり】である。
例えば
・自分が親で先制立直が入りました。
河は19字牌ばかりで、自手は好形高打点の一向聴だけど、【当たったらラスに近づくよなぁ】とか。
・自分がトップ目のオーラスで3着目が仕掛けました。
「この人に満貫を放銃したらラス落ちまであるなぁ」
という【事実に囚われすぎ】だとか。
・2副露していて、中張牌が河に結構切られている人に対して【もう無筋切れないなぁ】だとか。
この辺は、一つの思考に支配されている、又はその思考の重要度を高く見すぎているが故に起きる現象である。
良く、「麻雀は四人いるのだから、自分の和了れる確率はどれだけ高くても25%である」
というキャッチフレーズで、麻雀は守備が大切なのだと謳う人間がいる。
決して間違ってはいないのだが、上に書いた思考プロセスを踏む人間に伝えたい言葉としては
「でも相手の手って、分からないよね」
である。
そう、相手の手は分からないのである。これは読むことに対してのアンチテーゼではなくて、飽くまで心構え的な話である。相手の手は分からないのであれば、どうするべきか?
・【自手を見ろ】
・【河を見ろ】
・【点数状況を見ろ】
この3点に尽きる訳である。
この3点は紛れもなく、事実として卓上に表示されている訳で、これより重要視すべきものは無いのである。
一回この記事を読んだ弱い人はこの考え方を頭に入れて試してみると良い。
絶対、その内躓くけど、まずは蹟かなきゃ話にならん。やれ。
記念すべき第一弾(二弾は無いかもしれない)は
【押し引きに必要な思考】とした。
因みに本記事は初級者、中級者向けのものとする。
良く目にする内容は贅肉を削ぎ落としてめちゃくちゃ簡潔に書く。つまらないので。
以下『つまらない』まで読み飛ばし推奨。
まず、押し引きには何が必要か。
読み?必要無い。君はまだその段階ではない。
相手から立直が掛かった時の、自分の【和了率】と【和了素点】とその為に【押さなきゃいけない牌の危険度】である。
これを【相手が聴牌している前提を現実的に捉えられていない人間】が押しすぎて死ぬパターンで、【自分の手の価値を低く見積もって地蔵負けする人間】が引きすぎて死ぬパターンである。
前者は、自分が一向聴、二向聴から聴牌する為の有効牌を引き入れて更に先制立直者の和了牌がそれまでに河に切られることなく、和了りきる確率というものが果たしてどれぐらいのものか、ということをもう少し冷静に考えるべきである。
後者は、こんな良い手牌中々来ないよなぁモノにしなきゃなぁ、だったり自分から見てドラ3~5個見えてるし子の先制立直に放銃を恐れる必要があるのか?とかそういったことを冷静に考えるべきである。
この辺は『つまらない』。
あまり目にしない思考プロセスについて書こうと思う。
ここからは読め。
この辺は読みの話にもかなり関連してくるのだが、麻雀においての思考プロセスというのは
【網羅能力】と【編纂能力】と【処理能力】
である。
・網羅というのは、状況や打牌を見て、相手がどういう手であるか、という【全ての可能性】を考えることである。
・編纂というのは、網羅した事柄のそれぞれの確率を出来るだけ正確に算出することである。
・処理というのは、上記二つの作業結果に応じて自分の最適な選択を施すことである。
勝てない人はこの三つの内、必ず何かが欠けている。
著者が恐らく欠けているもので言えば、処理能力。
やはり、処理能力というのは最終選択(打牌選択)の部分でもあるので、非常に間違えやすい。
では初級者中級者によく見られる欠けている部分はどこなのか、というとそれは【編纂能力】である。
正直、処理能力に関しては誰しもが間違えるし、これを完璧に熟していると断定すること自体が難しい。
網羅能力に関しては、考えながら麻雀を打っていればある程度身についている人間が多いように思う。余談をするとそんなに強くないのに自分が上手いと思っている人間はこの網羅能力に溺れているパターンが多い。
問題の編纂能力に関してであるが、弱い人は、これを行う際の見積もりが極めて【自分よがり】である。
例えば
・自分が親で先制立直が入りました。
河は19字牌ばかりで、自手は好形高打点の一向聴だけど、【当たったらラスに近づくよなぁ】とか。
・自分がトップ目のオーラスで3着目が仕掛けました。
「この人に満貫を放銃したらラス落ちまであるなぁ」
という【事実に囚われすぎ】だとか。
・2副露していて、中張牌が河に結構切られている人に対して【もう無筋切れないなぁ】だとか。
この辺は、一つの思考に支配されている、又はその思考の重要度を高く見すぎているが故に起きる現象である。
良く、「麻雀は四人いるのだから、自分の和了れる確率はどれだけ高くても25%である」
というキャッチフレーズで、麻雀は守備が大切なのだと謳う人間がいる。
決して間違ってはいないのだが、上に書いた思考プロセスを踏む人間に伝えたい言葉としては
「でも相手の手って、分からないよね」
である。
そう、相手の手は分からないのである。これは読むことに対してのアンチテーゼではなくて、飽くまで心構え的な話である。相手の手は分からないのであれば、どうするべきか?
・【自手を見ろ】
・【河を見ろ】
・【点数状況を見ろ】
この3点に尽きる訳である。
この3点は紛れもなく、事実として卓上に表示されている訳で、これより重要視すべきものは無いのである。
一回この記事を読んだ弱い人はこの考え方を頭に入れて試してみると良い。
絶対、その内躓くけど、まずは蹟かなきゃ話にならん。やれ。
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