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Mリーグ云々

最近Mリーグの影響で、様々な主張が蔓延っている。
みんなきっと頭が悪くて答えが中々出せないのであろう。
なので、ここでハッキリと答えを出してあげることにする。興味の無いことなのでこれは最早慈善事業である。
最近やーやー言われているものはざっとこんな感じ

・麻雀プロとは
・プロへの打牌批判について
・ルールについて(Mリーグ)

ちなみに答えを出す、ということはこの記事では一切の【主観を捨てる】ということである。
つまり基本的に書く価値は無いし、読む価値も無い。
バカが多いみたいだからとりあえずこの記事で一掃しとこう、という魂胆であるってだけである。


①麻雀プロとは。

麻雀プロとは、麻雀のスペシャリスト。即ち専門家である。
では、スペシャリストとは何か。
それは【一概には言えない】。
切れ味のある刀を造る鍛治職人(実用的)も、見た目がカッコいい刀を作る鍛治職人(芸術的)も、一様にプロフェッショナルである。

現実的に
「勝つために期待値の高い打牌をし続ける人間(実用的)」が麻雀プロだと思われがちであるが、全くその限りではない。
「見た目が綺麗な役を作る(芸術的)」こともまたプロフェッショナルと言えるわけである。
この主張が受け入れられない原因は麻雀が「勝負事」であるという前提に囚われているからである。
物事の捉え方というのは当然人によって異なる。

「勝ちに対して損な選択をするなんてプロじゃない(そもそも当人が損な選択と分かっていてしていることはほとんどないのだが)」
というのは暴論である。
麻雀というゲームのルールに
【勝ちに行かなければならない】なんて制約は無いので。

ではそもそも麻雀プロとは何なのか、
という話になる。

そう麻雀プロとは単なる【ライセンス】である。
【車の免許と同様】である。
「取得するために一定の能力を要するだけ」であり、
【その後の活動によって、その素質の有無の変動は無い】のである。

車の免許は、例えばスピード違反や人身事故などで剥奪されることがある。
これは免許を与える公安委員会が定めた規定ではなく、「法」によって定められていることだからである。

麻雀プロも同様にこういった「ライセンスが剥奪される規定」に反しない限りはどう足掻いても【麻雀プロ】なのである。



プロへの打牌批判について。
プロへ打牌批判はすべきか、とか云々騒いでいる人が多い。
端的に言おう。

【宇宙全体で我々人間がやっていけないことは何一つとして無い】。

殺人、強姦、誹謗中傷、痴漢、これらをすると
「相応の罰が下る」
という事実関係を勝手に履き違えて
【やってはいけないこと】と見做す人間が非常に多い。

倫理観で物事は片付かない。何故なら倫理観なんてものは単なる好き嫌いだからである。
殺人と人助けをフラットに捉えることが出来ない人間は、本質的では無いのだ。

実は主張には基本的に2種類あって
【達成されるべき主張】

【達成されるべきでない主張】
がある。

達成されるべき主張とは
・「(私有地でなく且つ誰の所有物でも無い草花に対して)こいつらは全部焼き尽くされるべきだ」
など。

達成されるべきでない主張とは
・あなたはこうあるべきである(単数複数問わず)系全般
である。

上を見て分かる通り、【主張】というものはそもそもその殆どが
【達成されるべきでない】ものなのである。
これは主張の本質に「他人の自由を束縛する」という性質が孕みがちであるからである。

また、便利なことに
「早く人間になりた~い」
などは、主張というよりも願望という言葉に置き換えられる。
なので、この世界に蔓延っている主張はほぼ全て達成されるべきでない主張なのである。

では何故他人の自由を束縛すると、達成されるべきでない主張であるのかというと
それは、他人にも主張があるからである。
達成されるべきでない主張は基本的に【言葉】で【説得】しなければならない。

即ち戦争の上位互換みたいなもので、どちらが正しいかなんてのは本来無いのだが、何故か言葉が達者な人間の方が最近は勝ちやすい。
これらを「達成されるべきでない主張」と名付けたのは、正しくないから、である。

主張とは、自分の考えとは異なる状況や人間を【認知】して初めて行われる。
正しさとは、人間が作った身勝手な概念故に、人間によって【左右】される。
先ほどの例の達成されるべき主張は、話者が「相対する主張を認知していない」ことから、主張はそのまま【正しさ】となる。

これをそのまま
打牌批判に擬えると
「あのプロの2p切りは◯◯で△△だからプロとしてダメだね」
といくら主張せども、①で説明したことと併せて考えると

【それはプロというものに対して自己都合の解釈をしているだけだよね。別に主張する分には自由だけど】

ということになる。


③ルールについて(Mリーグ)

バスケットボールのルールは不全であるか、という問いから話を進めていくこととする。
例えばMリーグのペナルティ規定で「場面と関係のない強打」というものがある(多分)。

このアプローチをする時に、
バスケットボールのファール(トラベリングなどの行為が明確化されているものを除く)も結局審判の裁量によって決められるのだから、Mリーグも審判の裁量次第で良いよね。

という風に主張する人間は、人間辞めたほうがいい。

ルールを作る際に最も大切なことは
【曖昧性の排除】である。
まず審判というのは「極めて曖昧」な存在である。
何故なら審判は人間であるから。
例えばバスケットボールであれば、悪質なファールは3つ分のファールになったりする、が「悪質」と判断するのは人間である審判である。
この「悪質」という文言、極めてルールに適さない。

多くのスポーツは、このルールに適さないものに則って競技を進めている。
何故か。
それはそのスポーツに「穴」があるからである。
格闘技で金的を喰らわせても故意じゃないように見せれば良いように、サッカーで要注意選手をマークしてカードを貰わない程度のファールをすることがテクニックとされているように、【裁量に委ねられたルール】というのは、必ず穴があるものである。

例えば上の格闘技のルールを
「故意であるかないかに関わらず金的に攻撃を当てた場合はその時点で負け」
というルールにすれば、今度は金的を喰らっていないのに喰らったと主張して勝利する人間が現れ果てには
「顔面以外への攻撃は反則負け」
というルールにまで変貌する。

サッカーの例であれば
「特定人物へのファールを二回したものは、無条件で退場」
に始まり、シミュレーション(わざと転んでファールをされたように審判に見せること)が絶え間なく起こるようになり、果てには
「体の接触は反則」
という風に別ゲーになる。

以上のことから窺えるのは、ルールを細かく決めれば決めていくほど
【エンターテインメント性を損なう】ということである。

エンターテインメント性を損なうことによって手痛いのは、その競技そのものの継続と発展が需要減のせいで危ぶまれることである。
何事も一視聴者としては、競技に対しての誠実性というのは奇しくも重要視していないことが多いのである。

では、ルールを明確にしていきながら(競技に対しての誠実性を高める)、継続と発展もさせたい、という場合にはどういったアプローチが良いか、というと当然

【誠実性への理解を促す活動をする】ことである。

簡単に言うとこれだけルールを決めても面白いんだぞ、というアピールをする、ということである。


少し話が逸れてしまった。
そう。大体分かったと思うんだけど、ルールって決めるなら曖昧じゃないほうが良い。
強打じゃなくて【~Hz以上の打牌】とかにしないと、競技の誠実性は薄れるんだよね。

簡単に言うとこの辺は
競技の誠実性を重んじるか、エンターテインメント性を重んじるか、って話ですね。


Mリーグ見ましゅ。さよなら。
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