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思い出補正

思い出補正という言葉を御存知だろうか。
簡潔に言うと、自分が昔経験したものを美化してしまうことである。
僕は音楽が好きで大体自分がどんな音楽が好きなのかも歳を取るに連れて分かってきたつもりである。
そこで僕の好きな曲にGReeeeNの「愛唄」というものがある。
僕が小学六年生ぐらいのときずっと聴いていて、今でも好きな曲だ。
しかし、考えてみると愛唄という曲に関して、僕が好きになる要素というものを言語化するのは難しい(そうでなくとも感覚的に何故好きなのか捉えることが難しい)のである。

例えばMAJORという有名漫画がある。
僕はスポーツ漫画を毛嫌いする性質を持つのだが、MAJORに関しては昔から好きだ。
では何故MAJORだけ好きなのだろう。

これらにはいくつかの憶測が立つ。
・思い出補正
・僕は嘘が嫌いであるから、過去の自分の好きという主張を「嘘」だと言ってしまうようで引っ込みがつかない
・「嘘」が嫌いなのではなく、その対象物を神格化していた自分のセンスを否定してしまうことに対するプライドの問題

まず、一つ目の思い出補正に関してである。
第一段階として思い出補正とはそもそも、その対象物(或いは事柄)への感情を紐解いていき、理由が掴めなかった時に気づき得るものである。

気づいた後の第二段階の思考は
「果たして本当に思い出補正なのであろうか?」
とか
「良いもんは良いっしょ」
とか
「初期衝動が大事だよなぁ」
とか、そういったものに落ち着く。

【思考の傾き】として
「本当は好きじゃないのでは?」
という思考には中々ならないものなのである。

この理由を考えた時、二つ目と三つ目の理由が漸く考えられる。

[引っ込みがつかない説]
実際、このパターンの人は(この思考自体が心地いいものではないので)その考慮が意識下にない可能性が高い。
そもそも、自分が得しないと判断したしょうもない思考に関しては、適当に理由を付けて回路をシャットアウトしてしまうのが人間として賢しい選択であるのだ。
即ちこんな記事を書いてしまっている時点で、頭の悪い選択を余儀なくされた「負の思考の円環」を彷徨うことを宿命づけられた存在であると、僕はちょっと嘆いている。
ちなみに、この説に関しては少なくとも僕はそうではないと確信を持って言える。
「嘘」というものの捉え方なのだが、
僕にとっての「嘘」は【過去に吐いた自分の言葉に対するもの】ではなく、【現在の考えに対するもの】なのだ。
つまり、僕にとっては愛唄やMAJORが好きではない可能性を思考しない僕という存在が「嘘」であり、「冒涜」なのだ。
だから、僕が「初期衝動が一番大事」とか言うときは、本気でそう思っていて且つ、頭の片隅でまた同じ思考を繰り返すのだろう、と思っているときなのである。

[プライドの問題]
さて、三つ目の説であるが、これは大いに考えられる。我々は(少なくとも僕は)一度演じた自分を変えて魅せるというのは難しいものである。

「んー、昔はあのバンド好きだったんだけどねぇ」

昔から自分がそのバンドを好きだと分かっている人間に対して、このセリフを吐くことに何とも言えない躊躇いを覚えないだろうか(経験上、この感覚が伝わる人間もいれば、伝わらない人間も多数いる)。

(僕から言わせれば)他者に対してでさえ、そうなのに、自分に対してそのセリフを吐くことはどれだけ困難なことなのだろう、と思うのである。

僕は過去の自分に低い評価をつけることが中々出来ない。
僕は感覚派の人間であるから「成長」の意味合いが多分、他の人と違うのだ。
僕にとっての成長は「変化」ではなく「洗練」でなければならないのだ。
これが「変化」と認めてしまう思考が発生してしまうと、今度は【そもそもそれが好きだった理由】を【洗練に近づかせる為の都合の良いもの】に変えて考えてしまうのである。

例えば、ロックバンドが好きだったが全く聴かなくなったことに対して、
「まぁみんなが聴いてたから俺も聴いてただけだからなぁ」
とか言ってしまうのである。
業が深い…こんな奴は間違いなく地獄に堕ちますね。

やはり、その当時本気で自分が好きだったことを蔑ろにしてしまうのはダメだと思うんですよね。
てかダメなんですよねそれ。
それを蔑ろにしてしまったら、その時の感情はこの世界から完全に消滅してしまうんですよね。
それは残念なことなんですよね。残念なことはダメです。

ってことはやっぱ初期衝動ってめっちゃ大事だと思いますね。
多分人間って「考えるバカ」ですから、「瞬間の感情」って大事にしないと、論理的に作り変えられてしまうことが多いですからね。

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