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創造のすゝめ


僕は創造性を大切にしろ、と良く主張する。
それを主張する理由として使っていた多くは
・個性が一番現れるから
・個性を残さないと人間やってられないから
であったが、それだと伝わりにくい層がいることも判明していて、基本的にそれは現状に満足している層や、創造に対して怠惰であったりするだけの人間である場合が多いように思う。

そこで、今回は別アプローチで創造性の大切さを説いてみたいと思う。


結論から言うと
【人類の平等性を最も反映出来るコンテンツ】が創造されたもの、であるからだと考える。


「創造コンテンツ」と言われて何を想像するだろう。


恐らく、言葉に達者な人間であるほど、多くの創造コンテンツを思い浮かべることが出来るであろう。
何故なら「創造」という言葉にはそういった自由性があるからである。

映画、音楽、小説、漫画、アニメ、ファッション...

創造の定義はそんなところにはない。
創造とは「既存でないものの開発」である。

誰も思考したことがないようなことを思いついた時に創造は始まる。
一例として僕が今創造を始めてみる。
「をぼい」
僕は今平仮名3文字を使って、誰も思考したことが無いであろう組み合わせを考えた。
面白味には欠けるが、創造の一歩はここから始まる。

既存のものには必ずと言って良いほどルールやマナーがある。
それは人間同士の関係性を無視出来ないからである。

創造コンテンツのルールは創造者が決める。
これは既存のものの組み合わせでも良い。
一定数の人間は、既存のものの組み合わせによってしか創造は産まれない、とまで言いそうだがその辺の話は言葉の定義や思想の話に近いので割愛する。

では何故、創造することは人類にとって平等か。
それは、無限にあって網羅しきれないから、である。
鉛筆の芯を見た時
・濃さを想像する
・光沢に見惚れる
・炭素の含有量を考える
・先端に怯える
・何も思わない
この程度の個性が人間には備わっている。
経験上、何も思わない人間は創造をするに至らないことが多いように思うが、仮に上記のように思考する人間パターンが5つ存在した時、何も思わないのは立派な個性だとは思わないだろうか。

仮に一つの対象物に対して5つの個性があるとすれば、数え切れないほどの個性がこの世界には跋扈出来るはずなのだ。

発想力(目的に対しての解決策を提案する類のものとは別種のもの)の無い人間の多くは、この感性を養う作業をしない。
感性を養う作業というのは、鉛筆の芯を見つめることである。
その目で鉛筆の芯を見つめる、という発想に至らない。
鉛筆の芯を見つめなければ、個性は抽出されないまま萎んでいく。
何も思わない、という個性は何のカテゴライズもされないまま、最悪その人の中で認知すらされず消えていくのだ。

本来これほど平等を証明出来るコンテンツは無い。
何故なら既存のものの殆ど全てはコンテンツ化されているからだ。
何故なら我々はコンテンツ化されていないと、それを認識すら出来なかったりするから、である。
創造コンテンツが他のコンテンツと異なる点は、仮に創造コンテンツとするならば、という前置きが必要なくらいコンテンツとして成立していない点であり、付け入る隙があるということである。

【明確なルールがあると、ルールに対しての合理性の有無】
でそれが得意な人かどうかが決まる。
創造コンテンツにはルールが無いからそんなものは無い。
誰も達者なワケ、無かろう。


誰も触れないロビンソンなのだ。



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