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先天的鋼鉄メンタル人間

アンゴラ村長(にゃんこスター)可愛くない?
絶対可愛いと思うんだけど、「アンゴラ村長 可愛い」で検索しても、平愛梨ちゃんほどの反応は無いっぽい。
というか、名前だけ聞いたことあるような世間的に凡庸な顔立ちの芸能人を検索して「○○実は可愛い!?」みたいなサブカル深淵マニアック層の記事のパターンと、知名度を考慮したら同等レベルの反応しか無い…

可愛いんですけど~~!!
超絶可愛い村長!!
なんですけど~~!!


では本題に入ろう。
さて、多くの人間の間では、悩みを相談してそれを共有する、ということが流行っている。
「解決に向かわなければ何の意味も無い」
と男性脳が嘆いたり
「共感してくれることで安心する」
と女性脳が騒いでいたり
まるで絵画展のように雑多な感情が「相談」という名目を持った空間には渦巻いていることだろう。

誰しも、悩みを相談したことがあるだろう。
友達のいない人間でも、このご時世、ネットを使えば悩みを吐き出すことは容易である。


さて、これは一人の友人の話である。


大学に入学して、高校ぼっちくんだった僕は、大学は頑張ろうと初日から色んな人と仲良くなっておこう、と思っていた。

初日だし、みんな初対面の状況下でこそイニシアチブを取らなければいけないと思ったのだ。

指定の大教室に移動して、テキトーに席に着くと、何やら教室の様子がおかしい。

【周りをキョロキョロして話しかけようか話しかけまいか迷っている人間たちの空間】
を想像していたのだが現実は
【話し声と笑い声が跋扈してる空間と、動揺を見透かされない程度にそれを見渡す僕】
であった。

僥倖にも隣のあだ名が"田舎から来ました~"としか思えない冴えない奴は馴染めていない雰囲気だったので、訊いてみる。
「なんでみんなもう仲良い感じなんですかね?」

「な、なんか大学来る前からTwitterとかLINEとかで集まりやってたみたい」

!?!?である。
情報社会fuck off!である。

僕はとりあえずそいつと仲良くなって、一緒に色んな奴に話しかけようと言って、明らかに話しかけるの待ってますやんみたいな奴らに片っ端から声を掛けた。

何とかその時だけで10人ぐらい集めることが出来て、その後は小教室での授業があったから、そこでもとりあえず色んな人に声を掛けてみた。

そこで仲良くなったKくんと帰る方向が一緒だったので一緒に帰ることになった。
すると、Kくんの友達だというYくんも一緒についてきた。
何を隠そうこのYくんこそが鋼鉄メンタル人間である。

何やらYくんは人見知りらしく、初対面の人と話すのは苦手らしい。
そんなことを言いながらも何だかんだでふつうに仲良くなってメンバーも大体固定されていって、フツーに過ごしていたが麻雀くんは二年ぐらいしてある事に気づくのだ。

(Yくん、顔が無表情と笑顔しかねぇ)

結構ずっと一緒にいるのに、Yくんの表情は無表情と笑顔の2パターンしか無いということに気づいたのだ。
そういえば、彼が怒っているのを見たことがない。というか、嫌悪感のある表情も見たことないし、その様相を漂わせる何か、を捉えたことすらない。

そもそもYくんは僕にとって変な存在であった。

まずみんなは「リアリティー」とは何だと思う?
僕は政治家の多くにリアリティーを感じない。
僕にとってリアリティーとは「その他」なのだ。
どれだけ大きな目的や夢に向かって進んでいたとしても、それに対する疑念や迷い、或いは放屁や欠伸などの生理現象。これこそがリアリティーなのだ。
即ち、僕が考える「人間足り得るもの」として必要不可欠なものがリアリティーであり、Yくんはそれが明らかに欠如していた。

まず、Yくんは致命的なまでに「考えない人」だった。
「考えない」のは本来、難しいことである。
ただ、考えない人間は確かに一定数いる。
しかし、考えない人間の多くは
「考えないことを盾にして、考える人間に対して何か言いたそうな、自己顕示を垣間見せるもの」である。

この要素は捉え切るのが困難な場合もあるが、少なくとも僕が観測してきた人間は、その様相を必ず内在していたと認識している。

すると彼はどうだろう。
限りなく無である。
この「無」というのを無関心とかそういったことばに置き換えるのは些か危うい。
この「無」というのは、【他者に認知されない】である。
認知されないことをするのは非常に難しい。
それは
「無意識のうちに自己顕示を垣間見せてしまうことが多い人間にとって、【無】とは往々にして角が立つもの」
であるからである。

何かしらの事象に対しての反応には必ず意思が存在してしまいがちなのだ。
謂わば彼はそれが極めて希薄。
僕の思考が無ければ彼の人間としてのリアリティーの無さは闇に葬られていたことであろう。

何か嫌なことがあった時、顔に出る人、隠そうとする人、相談する人、色々な人がいるのだが、強がるような人は「何でもないよ」という台詞の裏側に必ず「何かあったよ」という成分を滲み出そうとするものである。
彼に尋ねたことがある。
「お前って怒ったところ見たことないけどイライラすることとかないん?」
どうしたどうした、みたいな表情をして彼は
「いや、家族にはめっちゃキレる」
と答えた。
ほほう、と思った。
加えて友達とかにイライラすることとかないん?
と訊くと、んー無いなぁ

んー無いなぁ(言ってることがよく分からない)

だったのだ多分。

超人すぎではないか?
しかし、この記事を書いて思ったんだが
そもそも【ふつう認知されないもの】を紐解いているせいで、筆の置き方が分からない。


表題の意味は、単純に彼は何かに躓いた時(例えば就活)でも平然としている、というか。
例えば僕は、「何事も精神に還元されるならば死なない限り全て同じ(超省略)だから悩むことが無い」というメカニズムの訳だが
彼の場合、その回路が全く無いにも関わらず、悩んでいることが一切無いのである。
彼の根本に置いている大切なことは「面白いかどうか(これは誰が見ても明らか)」なのだが、そういった人間も、「社会的ではない認識」や「常識から逸脱した認識」の片鱗を【自己顕示欲とともに】滲ませているものである。

しかし彼は一切それがない超人なのである。

僕の中では超人なのだ!




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