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結び目

「これでもう来客は来ませんかね。と言っても私もあなた方をお出迎えする立場では無いのですが。兎角…」

老爺は本当にそのまま眠ってしまうかのように目を瞑り、静かに次なる言葉を放った。

「五感で、この空間に寄り添いましょう。私とともに。」

此処が何処なのか、貴方は誰なのか、それを問うのが当然に野暮だと言わんばかりに老爺は瞑想している。
暫し老爺を見つめた後、私は首を微かに動かしては視界の限りを認識しようとした。

見渡せば私と同じような反応を示す人が数名居た。
中でも気怠そうに胡座の脚を組み直す長髪の男の姿が瞥らついた。
軈て男は溜息にも似た呼気を出し、首を左側に少し傾け、小さな水面に目を遣った。
ほんの数ミリ程上がった眉に伴られ、瞳孔に光が宿る。

男は数秒ほどそれを眺めた後、上を向くと深く溜息を吐いた。
光の宿っていた瞳は、徐々に現実の残滓に覆われ始めていた。


空間の綻びを解すような日常の雰囲気とは違い、そして誰しもの視線はこの荘厳な乳洞に向けられた。

自然色とは思えない赤や黄が、原生的な青を際立たせている。

天に成る淑やかな氷柱から滴る水は、乳洞の更に奥深くへ進んで行き、それでも氷柱が喪くならないのは、この世界が廻転していることを連想させた。

地面や壁、と呼ぶには余りに言葉足らずな、私を乗せている冷たな鉱床や、私を囲む煌びやかな岩群は、信頼や猜疑からは掛け離れたものだと私に直感させた。

冷たい音が鳴った。
氷柱から水が落ちたのだ。
その時、全神経がこの場所の本質性に共鳴した。
導かれるように私は目を閉じると、次なる水の音を待つ気持ちとは他所に衣服の擦れる音があった。

場違いな侵入への苛立ちよりも先に、目を閉じる前の自身の「音」に焦燥した。
そんな気持ちとは裏腹に、ものの数秒で辺りは静寂に包まれた。

まるでこの世界には誰も居なかったかのように。
まるでこの世界が最初からそうだったように。

耳を澄ませば、静寂の中に呻きでもなければ地鳴りとも言い難い、音があった。
辿ろうとしても常に線の真ん中にいる私が動かなかった。

二度目の水が落ちる音は、私にとって寧ろその音を鮮明化させるファクターだった。

空間が微かに響かせ続ける途切れのないその音は、私が認識し得る呼吸とは違った。

その思考に至った時、私の脳は人間という存在の不完全性を掠め、それを払拭するかのように次の思考に至った。

あの息の詰まるような無音は、人工物だったのだ、と。


三度目の、水が滴る。



fin.



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