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成人おめでとう!

成人おめでとう。
そんな言葉が散見される。
今日は"おめでとう"の話をしようと思う。

成人式という行事は4年前にも行われた。
何がおめでたいのか全く分からない僕は参加する気は更々無かったが小学校以来の友人に何故か誘われ、参加する運びとなった。

小学校の友人は懐かしく、そいつらに会うためだけに出席した。
ごちゃごちゃあったが無事終わり、色んな人とも会って何だかんだそんなに悪いもんじゃなかったかな、とそういった感じだ。

さて本題。
"誕生日おめでとう"
なんて言葉がある。
僕は中学一年生以来、この意味を
「一年周期で該当者が何故か喜ぶ日があるから、一緒に喜んであげる為の言葉」
としている。

つまり僕の中で、誕生日がおめでたいなんて感情は一切無いが、喜んでいる人がいることは僕にとっても嬉しいことなので一緒に喜ぼう、とそういった感じである。
僕は喜んでいる人がいるのに、その人に向かって
「どうして喜んでいるの?」
と問いかけてしまうような寒い人間には絶対なりたくないので、こういう寒いことを言うのは基本的に記事の上でだけだ。

今日は存分に寒い話をしようと思っている。

小学校を卒業するまでは、普通に自分の誕生日は好きだった。親が何か買ってくれるイベントだし、自分の年齢がパワーアップするからである。

中学に入ると、誰かの誕生日が来るたびにおめでとう、という声が聞こえてくることに対して疑念を抱き始めた。
"なんで誕生日っておめでたいんだ"
ということである。

結論から言うと、おめでたくなかった。
よくよく考えてみれば、誕生日なんて概念が無くとも一年経てば中学1年生は中学2年生になるからだ。
プレゼントが貰える喜びから来るおめでたさは、プレゼントが貰えるからおめでたいのであって誕生日だからおめでたいのではない。

11月1日を国民全員にとっておめでたい日にしよう、と取り決めをすればその日が国民全員にとっておめでたい日となる。
よくよく考えるとただそれだけの話だった。

というのも、これは最近になって思ったのだが、この世界で決められている誕生日の決め方は運命的ではなく人間的だからである。
1年で1歳、年を取るから20年経てば20歳。
ただ1日で1歳、年を取る決め方だったらその人は約7200歳になるのだ。

「うち何歳だと思う?」
「7067歳!」
「ぶぶー!!7130歳でしたー!!」
非合理な会話である。

「うち何歳だと思う?」
「えー?そんなこと考えたことないよー」
こっちの方がその世界では自然である。
毎日自分の年齢を数えていれるほど人間の多くは暇ではないからだ。

きっとその世界では大学を卒業したら
社会人1年生、社会人2年生
という風に年齢が区切られていくのだろう。

何が言いたいかと言うと、
地球の公転速度が365日であることに対して1年と名付けて、それに合わせて"おめでとう"とするなら、おめでとうと言う相手は地球や太陽であろう、ということだ。
当時そういう結論に至った。
これは今も変わらない。

僕にとっておめでたいのはもっと運命的なことなのだ。
祝うべきは誕生日ではなく出産時なのだ。
一つの魂(人格としよう)がこの世界に生まれ出でたそれは奇跡の日なのだ。
1年経てば人間の取り決めにより、1つ年を取るのは運命的でも何でもない。そういう風にしてるだけだから。

想像すれば分かる。
年齢なんて概念が無い世界でも不便なだけで、死ぬことは無い。
更に言うとこういう事柄は大抵"現状からしか想像出来ないから不便だと思う"ってだけで、年齢なんて概念が無い世界では我々人間はその不便さに中々気づくことすら出来ない。
無いものに対して憤りを感じることは少ないだろう。
認識下にあるか、認識下にないか、というのは人の感覚を大きく変える。

そして"成人おめでとう"である。
これはもっと分かりやすく滑稽である。
「日本国が定めた成人というものに乾杯( ^ ^ )/■」
こんな具合だ。

19歳は成人じゃないからおめでたくないのだ。
20歳がおめでたいのだ。
成人年齢が18歳に変われば18歳がおめでたくなるのだ。
お酒が飲めたりタバコを吸えるようになる、日本国家による素晴らしいシステム管理を祝おうじゃないか、と。
成人式とはそういうイベントである。



以上、寒い記事でした。




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