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メルヘンチックな優しい世界

批判を嫌う人間は自身の器の狭さを露呈し、多様性の認知を避け続け、賛辞だけが量産されるメルヘンチックな世界を"優しい世界"と名付けている。


こんな話をしよう。


"ヤンキー"と呼ばれる人間が極めて多かった中学に入学して早々、ある一人の男子を見ててムカつくという理由で私は蹴り飛ばした(当時の私は自分の感情だけで動くサイコパスであった)。

彼は学年一、いや校内一の文武両道で、賢く喧嘩も強かった。学校に一人は居るめちゃくちゃ勉強の出来るヤンキーを想像してくれれば良い。
当然の如く彼に目をつけられ毎日のように絡まれていた私は、彼のことを心底ウザいと思うようになるのだがそんなことを思う内にこんなことを思うようになる。

多分、理解の外の人間である、と。

たった一回蹴り飛ばしたくらいでめちゃくちゃ絡んでくる彼であったが、彼は情緒が不安定すぎて機嫌の良し悪しが激しかった。校内では「今日の彼の機嫌は良いぞ!」などと、血液型占い宛らに彼の様子が噂されるほどだった。

彼は多数いるヤンキーの中でも孤軍奮闘型で、友達は少なかった。
これは想像して欲しいんだけど、私は決していじめられていた訳ではなく、彼という自然災害が及ぼす被害が他の生徒より多かったくらい。
あと、普通にコミュニケーションは取るという感じ。

うちの中学のヤンキーとそれ以外の関係性は、牽制的なコミュニケーションを取りつつ成り立っていたという感じで、ヤンキーと仲が悪いという訳ではなく、自然災害のシンボルとして機嫌を損ねないように接するのが非ヤンキーの中での暗黙の了解であった、とでも言おうか。

彼(ヤンキーAとしよう)ともう一人のヤンキー(ヤンキーBとしよう)の話をしよう。
ヤンキーBはヤンキーAと違って情緒不安定ではなかった。
ヤンキーAが情緒不安定である理由は家庭環境が頗る悪かったらしく、学校近くのコンビニで深夜に泣いてるところを先生に発見されたくらい。

ヤンキーBはとにかく暴力的で彼の凄いところは男女関係なく暴力を振るうところだった。
ヤンキーBはキックボクシング(ヤンキー、キックボクシングやりがち)をしていたので彼の蹴りは痛い。

しかし当時、私はヤンキーAのことは嫌いだったがヤンキーBのことは何故か嫌いじゃなかった。
ヤンキーBは、なんていうかマジで生まれながらにして暴力が好きで好きで仕方ない、という類の人間だったのだ。
なんかそれが、正直別に嫌いじゃなかった。

ヤンキーAは高校を卒業すると北欧の大学へ行き(勉強がめちゃくちゃ出来たので)、ヤンキーBはNPO法人を志している。

大学生の頃、ヤンキーBと会う機会があり、その豹変ぶりには驚いたのを覚えている。
売人をしていて少年院(刑務所か?分からん)に入っていた彼は鑑別所では全く更生しなかったのが嘘だったように更生していた。
更生、という言葉は嫌いなので私は"変化"という意味でしか使っていないことを注釈しておく。

NPOを目指すことにしたよー
という一言には流石に衝撃を受けた。
だって彼の道はヤクザか格闘家しかあり得ないと思っていたからだ。それくらい暴力だけが好きな奴だった。

あと、ここでは書けないようなことばかりだが、彼の話は面白い。
人と違う人生を辿ってきた人間の話は面白いのだ。

ヤンキーBには友達が多く、その全てがちゃんとヤンキーなのだが、私も縁があり話を聞く機会が大学の頃は多かったので色々な話を聞いたが全員面白い。

中学の頃は牽制的なコミュニケーションしか取れなかった相手とも、時間が経つとこうも普通に話せるものなのか、と感心したものである。

何が言いたいかと言うと、多くの人が多分、自分が被害を被ったとかそういう思考過程の中でコミュニケーション範囲を狭めてしまうということなのだ。

"中学生"というエネルギー体に理由を求めるのは間違っているし、最初に書いたように単なる自然災害だと思えば憎しみに発展することもきっとない。

コミュニケーション範囲を狭めている人間の何が問題かと言うと、他者の視点でものを見ることが苦手なのだ。

多様性そのものを否定し続けて生きてきたので、人間的な性質からの"別解"を認めようとせず、言語化的納得を求めがちなのだ。

そういう人たちのことを、みんな違ってみんな良い、と思ってる人は"そういう存在"としてカテゴライズする。

そして"そういう存在"としてカテゴライズした人間に対してコミュニケーションをする際の心情はこうだ。

(そういう存在の機嫌は損ねないようにしよう。)


メルヘンチックな優しい世界。







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コメント

うんち!

Re: メルヘンチックな優しい世界

自演だと思われかねないコメントやめるのだ怒

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