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容疑者Xの献身

容疑者Xの献身
西谷弘
☆2.0

探偵ガリレオ?だっけ。
原作東野圭吾のやつのスピンオフ映画みたいなやつだったはず。
てかこういうの総じて駄作だからちゃんと説明するわ。

まず前半1時間は☆5です。
面白いじゃん!って感じなんですよね。
私はミステリーが好きじゃないのだけどこれはサスペンス。私のストライクゾーンなのであります。

まず、どこかで書いたんだけど愛とミステリー(サスペンス)ってテクノポップと演歌くらいミスマッチなのよね。
コンセプトがあやふやでどっちも中途半端。

観てる時の思考を言語化すると
前半部分はサスペンスにかなり気を取られて、トリックを"大まかに推測"していく。傑作というのはこの推測が外れた時に生まれやすい。

イニシエーションラブ(小説)が私にゴミと言われている所以は私ごときに全部的中されたからに他ならない。
逆に"ルームメイト"なんかは視野外からロングシュートを打ち込まれたので傑作となっている。

どうしても、ミステリーやサスペンスはこういった"驚き"が重要なポイントとなる。

まず、その点においてこの作品は終わっている。
まぁそうだろうなぁという感じで驚きが一切ない。
これはプロットもそうだが表現力にも問題があると思われる。

では、悪い点を具体的に3つ挙げよう。
①世界観
②エッジと大衆性
③構成
大きくこの3つだ。

①世界観について。
世界観というのはその作品の全てだ。
何故ならその世界観の中で全ては形成され、全ては動くからだ。
キャラクターが世界観を形成させようとすると、キャラクターは神にならなければならない。
その形成過程においても世界観は必要になるだろう。

要するに【作中の森羅万象は世界観に先立たない】。

では、本作の世界観とはどういったものだったか。

有名作品ということもあり、本作はミステリーの雰囲気を鑑賞者に与える。
この時点で、鑑賞者が期待するのはミステリーであり極上のミステリーを待ちながら視聴を続けるだろう。

結果どうであったか。
【オードブルだと思っていて平らげていたものが実はメインディッシュで、残ったのはサードインパクトで破壊された、愛とミステリーがごちゃ混ぜになった不調和な世界と空虚な自分】。

これがこの作品の全貌である。
この作品を賛美している全人類に一言添えるならば
「お前が不調和な人間だからごもっともだ。」
とでもなろう。

②エッジと大衆性について
"探偵ガリレオ"は熱心な東野圭吾ヘッズの知る通り物理学研究者が主人公である。
本作は被疑者が数学研究者となっており
物理学研究者vs数学者
という様相を呈している。

このストイックな設定にも拘らず、本作では一般人が理解出来るような文言を駆使し、解決の糸口を掴んでいくこととなる。

端的に、ダサい。

この大衆性こそが世界観の崩壊を招く一因にもなっている。
作中では数学や物理学の美的感覚を謳いながら、その世界観にストイックでないがためにその世界がちっとも美しくないのだ。
まさに
「身の丈に合わない高級財布を買ったが、中に入れるお金がない」
という本末転倒状態である。

③構成について
チンカスだったと言える。
この作品を観てフルチンで歓喜している人間全員に宣告するが、貴方がたはブラジルの未開地でひっそりと暮らせ。

この作品は構成が全く美しくない。
天気の子に近い。天気の子だわこれ。ゴミじゃん。ムカついてきたわ。
そもそも構成の美しさとは何か、という話をすると
以前私は構成の美しさを
「太鼓の達人でドン、のところにドン、カッのところにカッのやつ」
という感じの表現をした。
我ながら流石だなぁと思うわけだが、衆愚にはこれでは伝わらない可能性があるのでもっとちゃんと言語化すると
【そこに必然性が伴うかどうか】だ。

ここで使われた必然性の対義語はなんだと思う?
それは【合理性】だ。

この作品は合理性で形成されている。
パズルみたいな感じ。

シーンの一つ一つをパズルだと思って欲しい。
この作品はシーンの切り替えが多い。
つまりパズルのピースが多いのだ。
この作品はそのピースを一番合っているところに嵌め込んでいる。

ゴミのそれだ。
こういうのはゴミに多い。
フルチンキッズはこういう論理性に歓喜するのだろう。

具体的には終盤の堤真一の回想シーンなんかがそれだ。
あのシーンは本来どこに入れても良い。
あのタイミングで挿入した理由は、そのピースが
"ここが視聴者が一番欲しがっているな"というものだったからだ。

この見え透いた合理性が作品の芸術性を損なわせる。


優れた作品はこういう手法を採らない(見透かさせない)。
何故ならこの手法を採るとそれが
【まさしく人為的な"作品"である】ことが強調されるからだ。

このレールに突入するとどういったことが起こるかというと
それは【エンターテインメントの域から逸脱出来なくなる】。

ではこの作品がどういうテイストだったかというと
【サスペンスというエンターテインメント(◯)から、愛という情感を重視(×)し始めてクソ汚いパレットの完成】。

これがこの作品の全てだ。

その証拠に物語が進むにつれて
「柴咲コウ可愛いなぁ」
と思う時間が増えた。

もう作品とかどうでも良いや、ということである。

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