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生きることと感謝について



昔から度々
「当たり前じゃねえからな」
とやや苛立ち混じりに両親が私に言葉を吐くことがあった。
特に問題のある家庭環境ではなかったので、日常生活のほんの一齣なのだが。
その言葉の意味は
「この生活は当たり前ではない、感謝すべし」
言ってしまえば感謝の強要ということなのだが、幼い頃から言われ続けているものの全く自分自身に定着していない。

幼心にも
「じゃあ、私に死ねと言うのか」
と。
つまり、産んだ子どもを育てるのは親の当たり前の責務であるからそこに感謝なんて存在しないのではないかと、そういう考えであった。
今もこの考えは全く変わらないのだが、一つそう思う決定的な理由が見つかったのだ。

【生きてることと生きていないことがフラット】
よく言うだろう。
「望んで産まれてきた訳じゃない」
まさしくこの言い分で、どうやら私はこの世に生を受けていることに対して±0の感覚しか抱けないから本質的に感謝をしないのだと思う。

産まれてきて良かったと思う瞬間には感謝をし、こんな辛いなら産まれてこなければ良かったと思う瞬間には怨恨が生まれる。
そういった情動ならばまだ理解が出来る。

しかしこの世界の風潮は、何かと感謝を求めたがるものである。

つい先日、面白いスレッドを見つけたのだ。
【生きる意味って何?】
そのスレッドのコメント欄に
「生きる方が受け身だから」
というものがあった。

なるほどハッとした。ものすごくしっくり来る。

読書が苦手な人が長編小説を読む覚悟とかそういった類。
しかしだとすれば一つだけ疑問点があった。
私は高校の頃に自殺をしようとしたことがあるのだが、マンションの11階から外を眺め、いざここから飛び降りるのかと思ったとき、泣き出してしまったのだ。

何故かは分からないのだが、あの瞬間は何というか生きている実感があった。

それまで意味がないと思っていたが積み重ねてきた確かに線的な情景が、全て感情へ還元された状態で私を包み込んだのだ。

その時、確かに私は私の中だけで意味上の一つとして存在していたのだ。

さて、感謝とは何だろう、と思う。
多分それは潜在的に誰もが持っているもので、それを表出する必要があると思うか思わないか、その程度の差なのではないだろうか、と。

意味に囚われる身として、恐らく我々は森羅万象に無意識的に感謝をしている。
もっと言えば感謝なんていうものは正の感情をもたらすものに限らなくて良い。
我々を形成していく環境全て、つまり我々の人格形成に影響を及ぼす全てに対して感謝をしていると言っていい。

あなたが大嫌いなあの子にも。
怨恨も感謝も影響を与えるという点においてきっと変わらない。
私たちは私たちでしか在り得ないために、意味を形成している。
この無意味の海に意味をもたらそうと必死なのだ。

そんなことを考えているうちに、無自覚的なワガママが光って見えてくるようになる。




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